それは人の心の善と悪にある。
と言っても、
何も性善説などを唱えるつもりはない。
人は善の顔も持っていれば、悪の顔も持っている。
性善説、性悪説のいずれが正しいなんてことはない。
世に「善」だと語られる人は、
自分に悪の顔があることを、より意識して生きているにすぎない。
そう。つまり悪の顔を見せずに生きていくには、
自分が悪であることを認めることこそが、まずその第一歩だ。
世の善人ですらそうなのだ。
ましてや多重債務者でギャンブラーで浪費家で八方美人で言い訳がましい、
そんなあなたが「純潔の善人」などであろうはずがない(笑)
にも関わらず、
多重債務者は、自らを善人であると言い聞かせる。
「あぁ、そうだった。私は悪でした。」
そう認めてしまう勇気さえあれば、
「確かに借金の原因は全て自分にあります(><)悪ですから^^」
「つい、ギャンブルの誘惑に負けました(><)悪ですから^^」
「お金がないのに消費欲が抑えられないんです(><)悪ですから^^」
「頼まれたら断れないんです。嫌われたくないから(><)悪ですから^^」
「家族より外面(そとづら)を優先してしまうんです(><)悪ですから^^」
全ては自分の責任となる。
全てが自分の責任の場合、自分を克服すれば、事は解決する。
しかし、悪であることを認められない場合、
「困っている人を放っておけって言うの?善なのに@Σ@!?」
「借りて借りてってしつこく勧誘するんだもん。断れないよ。善だから@Σ@」
「貸すほうも悪くない?私は善よ@Σ@」
「ギャンブルって、国の政策の問題でもあるよね!?@Σ@」
「景気が悪いんだから、仕方ないよね?@Σ@」
と・・・、言い訳が必要になる@Σ@。
また、だからこそ、
そうした言い訳で誤魔化せない家族に対しては、
借金は口が裂けても言えない。
ギャンブルも言えない。
保証人になったことも言えない。
「家族をがっかりさせたくないから・・・(><)」
なぁんて。
でも実際には少し違う。
「家族をがっかりさせたくない」のではなく、
「家族にがっかりされたくない」んです(笑)
でもね、よ〜く考えてみようね。
「自分だけは『善』でなければならないのか」を。
誰だって『悪』の部分を持ってるんです。
それを認めた人から、少しずつ善に向かうんです。
自分の『悪』をさらけ出す勇気を持てた人から、
少しずつ『善』の考えを持つ機会が与えられるんです。
『悪』を隠そうとすればするほど、
『悪』の考えを持つ機会ばかりが与えられる。
先日の記事のA君のように・・・。
そして
「どうして自分ばっかりこんな目に遭うの!?(><)」って。
『悪』を隠そうとしなければ、そんな目には遭わなかったんです。
全ては『悪』を隠そうとした自分の行動に対する『必然』です。
「言い訳」はあなたを解放してはくれません。
開放されたいのなら、「言い訳をやめる」こと。
どうでしょう?
そろそろ『悪』を認めて、楽に生きませんか?^^
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