学校で「いただきます」についても論議があるらしい。
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以下、コメントを抜粋。
・TBSラジオ「永六輔その新世界」で
昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。
きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と
学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。
番組でのやり取りを参考に、
改めて「いただきます」
を考える。
手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、
次のように紹介した。
《ある小学校で母親が申し入れをしました。
「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と、 言わせないでほしい
給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》
また、申し入れを支持する手紙も数通あった。学校で「いただきます」を言う際、
手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいるという。
永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介した。その友人は「いただきます」と聞くと
うれしいから、お客さんの「いただきます」の声が聞こえたら、デザートを無料で出す
サービスをした。後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ「大丈夫です」
そんなにいませんから」と言われたという。
(一部略)
いつも鬼さんのブログを楽しみにしています
こういう記事を見つけたのですが…
どうなのでしょう?
今回のコメントに対して精通するものがあると思うのですが…
以上、抜粋おわり。
・・・
う〜〜ん、
お付き合いしたくない母親ですね^^;
そもそも「いただきます」「ごちそうさま」って、
誰に言うものなんですかね?
私は食べ物自体に対しての意味も込めて言っているので、
一人で食べるときも言いますけどね。
ま、あまり大きな声では言いませんが(笑)
でも、この母親の家庭では、
もしその母親が専業主婦なら、
ご主人は「いただきます」って言わないのかな?
だって食費はご主人が家に入れてるんですからね(笑)
お金を払った払ってないじゃなくて、
作ってくれたことに対する感謝の気持ちの表現なんだし、
「いただきます」って言ったからって何も損しない。
言われた方が気分がいいわけだし、
言った方だって、別に卑屈になってるわけじゃないと思うよね^^;
「いってきます」って挨拶だって一緒かもね。
玄関から出て行くわけだから、
「行ってくる」に決まってる。
挨拶が機能や権利義務だけのものなら、
言う必要なんか全くないかも知れない。
でも、その挨拶を元気良くすることで、
お互いにさわやかな気持ちになるもんだ。
別に損をすることなんか一切なく、
お互い気分が良くなる。
だったら言わなきゃ損じゃん^^
それを自ら辞退する、ってバカじゃん^^
宗教的行為だって話は、それは確かにそうかも知れない。
本来、宗教ってのは、
人が人としてどうあるべきで、
どうすれば人は穏やかに暮らし、
どうすれば人は不安や恐怖から解放されるか、
それを追及したものが宗教だと思う。
だから挨拶っていうのは一種の宗教だと言われれば
確かにそれはそうかも知れない。
でも、宗教って悪いものなんだろうか?
人の死に直面したとき、
「南無阿弥陀仏」と言う人もいれば、
「南妙法蓮華経」と言う人もいるでしょうし、
「アーメン」と言う人もいるでしょう。
でも、それらは全て安らかな成仏を願うものであって、
「故人はキリシタンじゃないからアーメンはやめろ!」
などと文句を言うのはおかしいことです。
(言う人いますが^^;)
私も宗教はあまり好きではありません。
その理由は、こういう事を言う人が結構いるからです。
でも、挨拶を宗教だと言って否定する人が嫌いなのであって、
宗教の個々の教えは素晴らしいものです。
宗教の欠点は、
それぞれの宗派間で、どちらが正しいか、
などという不毛な争いをする事にあるのであって、
それこそ挨拶が宗教だ、などと言う人にこそ
争いの元があるんだと思います。
そもそも宗教的儀式や規律などは、
その宗教が生まれた環境や風土によって違って当然であって、
違うからと言って、
元々興した人からすれば、
人類が平和になれることを願って興したことに
何の疑いの余地もないはずです。
(一部の新興宗教は違いますが^^;)
宗教を信じる人も信じない人も、
その宗派のみを妄信したり、
宗教そのものを頭から否定してしまうのではなくて、
その教えの中にある真意を勉強するくらいの
努力はして欲しいものですね。
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そろそろ借金カテゴリー変更しようかな^^;
無念、無念です。そんな母親が、この日本に居たとは、、
人間は、様々な生き物の命を、自らに摂り入れなければ生存できない生命体です。スーパーに行けば切り身になって陳列していますが、切り身になる前の牛や豚が、どの様な殺され方をしているか想像して欲しいのです。「私はベジタリアンだから」などとのたまう無能も存在します。
植物だって生きています。
「いただきます」とは「あなたの命をいただきます」と言う意味なんです。私が生きる為に、あなたの命を頂いている。だから残さず、有難く頂くのです。そうしなければ生きて行けない「業」を背負った種族は、もっと謙虚になるべきです。
私には、理解が出来ない。
んなこと言う親の子供は、どうなってしまうのか?
すっごく不安です・・・
「いただきます」「もったいない」「ごちそうさま」・・・
親が子供に教えないで、誰が教えるのでしょうか?
当たり前のことを、どうしてって思うあたり。
でも、違う方向で答えを出しちゃったんじゃない。
その答えの手助けをしたのが、「お金」優先の
考え方なんだろうね。
「お金を払っているから・・・」
「お金があったら・・・」
子供の将来のことなんて、その時はないだろうね。
感謝と謙虚の気持ちを教えるのに
「いただきます」は、必要だと思うんだけどね。
会社にも挨拶できない?分らない?したくない?
人いますけど、大体!親を見れば納得します。
子供が哀れで仕方ありません(>_<)
やっぱり、皆さんもそう思いますよね!
鬼さんも、そう思いますよね!
僕も最初はビックリして…
「どういう神経した親なんだろう?」…と、
思ったのですが。
でも…どうなんでしょう?
少なくとも、そういう認識を持った子を持つ親が
増えてきているのは間違えないと思うのですが…
もちろん僕も皆さんと同じ理由かどうか分かんない
ですが、結論は同じです。
仮に、僕に子供がいたらやっぱり「いただきます」
と、言ってほしいですし、その言葉の意味も理解してほしいですから…
こういう皆さんの考え方が正しいと思うのですが
なぜ?「不必要」という考え方の親が出てくるんでしょうか?
どこでズレが生じるんですか?
家庭環境ですか?
生活環境ですか?
学校教育ですか?
…
そう考えると、怖くなります。
もしかしたら…まともだと思ってる自分もズレてるかもしれないし…
もし、自分が子供を持った時に、親として父として
教育というものができるのか…
恥ずかしい話、悩んだりします。
自分自身どうなのか…と
それに怖いのが、正しい教育とは? となった時
賛成多数の大多数の意見に左右される恐れもあると思うのです。
例えば、「いただきます」不要論の支持が膨れあがった時は、それが正しい見解になる恐れも…
(鬼さんに指摘されそうですね!)
やはり、こういう事を考えると教育というものに対して考えてしまいます
つい先日も、(22歳)知り合いにこの事について聞いたのですが、
返って来た返事が…「子供と一緒に成長したらいいじゃん」
さすがに愕然としたのですが…
↑その通りだと思いますよ。
親として、子供に自分が正しいと思う事を言うより
子供自身が自分で、正しいと思う事を考える
力を与える方が良いと思います。
自分はこう思うが、子供は私と違う意見だったり
したら私は結構嬉しいですね。
子供が楽するために自分の都合の良いことばかり
言っていたら、怒りますけどね^^
親になって思ったことは、なんと私は未熟者だったのか
子供から教えられる事の、なんと多いことか・・・
日々、子供と一緒に成長です。
その節はお世話になりました。
鬼さんのお陰で、お金について少し前向きに考えることできるようになりました。
ありがとうございます。
我が子達は、ずっと保育園に通っています。
かれこれ10年になります。
私としては、先生と共に子どもを二人三脚で育ててもらっているつもりです。
最近、少し保育園の様子が変わってきました。
以前は、お迎えのときにありがとうございましたという保護者がほとんどでしたが、お金を払っているのだから見てもらって当たり前と挨拶もない保護者が増えています。
逆に、保育者の方も、割り切っているというか、子育てしているというよりは、雇われて子どもを見ているという感覚になってきています。
感謝の気持ちは、お金では伝えられない。
お互い気持ちよく暮らす為の、一種のコミュニケーションだと思うのですが、その能力が段々と低下しているのでしょうか・・・・残念です。
う〜ん 開いた口がふさがりません。
こんな事を申し入れる親も親ですが、学校側もきちんと説明してあげたらどうなのでしょう?
でも、こんな人は聞き入れることもできないのかな。
余談ですが…
小学校の教師をしている友人のところに、母親からかかってきた電話。
「うちの子供が、私の言うことを聞かないので、先生から言うことを聞くように言ってください。」
…これからの日本が、不安です(^^;)
何十回も読み直したのですが…
どうしても「凜子さんat 2006年02月16日 10:05」
にお伺いしたいです
子供と一緒に成長です。というのは
親も成長するし、子供も成長するという意味ですか?
それとも、親と子供も共に成長するという事ですか?
…
仮にそうだとすれば、僕には「?」が付きます。
本当にそういい切っていいのでしょうか?
親の成長と子供の成長は別物じゃないのでしょうか?
それを、「ひとくくり」にするのは危険じゃないですか?
確かに、勉強や専門分野的な事柄はそうなるのかも知れないのですが
それ以外に関しては、同じ成長とは危険じゃないですか?
…
本当に失礼な事を言ってると思います
本当にすいません
僕自身、家庭も持っていなければ、子供もいません
だから、「独り身の人間に何が分かる?」
と言われれば、何も言い返せれないんですが…
それを覚悟の上で再度、お聞きしたいいのですが、
やはり、子供と共に成長するという表現はどうなんでしょうか?
そういう表現の延長には、子供と友達という感覚になるのではないでしょうか?
僕の周りには、そういう母親がすごく多いです。
それが、良いか悪いか分からないですが…
ただ…思うのですが、子供と友達みたいな関係に
なってしまったら、「諭す」という事はできないんじゃないでしょうか?
もし、気分を悪くされたら、すいません
本当にすいません
率直な意見を聞きたかったので…
凜子さんの「子供と一緒に成長」は、子供と同レベルで一緒に成長していこうというのではなく、子供の考えや行動を見て、諭したり、逆に気付かせられたり、自分自身が考えさせられるから共に成長していくと理解しました。一人の人間を育てる事は、とても大変な事だと思います。
母親になる以前に自分自身が成長していなければなりませんが、誰しもそこまで完璧な人はいません。また、子供を育てる事によって、更に人間としてしっかりしていくのだと思います。
私は子供を産んでいませんし、産む予定もありませんが、子供をまっすぐと育てている人をとても尊敬します。
私が言いたい事をyumeさんが代わりに言って
くれました。
人間は学ぼうとする心があれば何からだって
学べると思います。
猫のお母さんから私は、子供に対する接し方を
学びました。
子供のまっすぐな目から、逃げてはいけない
事も学びました。
あと、その延長に友達親子があるとは思いません。
親はあくまで親で、子供はあくまで子供です。
だからといって、親が頭ごなしに意見を押しつける
ものでも無いと思ってます。
こういうことは、活字で知識を得ても
アハ体験が出来ない、子どもが出来てから
初めて実感するもんなんですよ。
それまでの宿題だと思って楽しみに待って
いるのもいいんじゃあないですか。
今回は親の立場から見て「子供と成長」と
いってるだけで、それが、対親でも対駅員さんでも
対恋人でもいいと思うんです。
アッ自分と同じだとか、自分と違うとか
相手の心の
なにかしらに「気付く」というのが
成長じゃないでしょうか。
まあ、人の振り見て我が振り治せという言葉に
リンクしているようにも思えますが。
失礼しました。
この言葉をどういう意味で使ってるか、でしょうね^^
子供が出来るまで自分が成長しないつもり、
という事なら問題アリでしょうけど、
人間、生涯成長し続けるべきで、
大人になったから、親になったからと、
そこで成長を止めてしまっては
いずれ子供に追い越されてしまうでしょう。
子供も成長するけど、
大人も子供に負けないようにさらなる成長をする。
そんな意味で使うのなら、
名無しさんも納得じゃないのかな?
かの孔子ですら、
人としてほぼ完成されたのは
70歳だと言ってます。
私たち凡人が、
子供が出来た程度の年齢で、
もう成長し尽した、などという事はあり得ません。
そういう意味も込めての言葉だと思いますよ^^
ありがとうございます
皆さん
個人的な疑問に答えて頂きありがとうございます
よく読み直して、自分の糧にしたいと思います。
正直、自分自身の家庭環境にトラウマみたいな
ものがあるので、その辺の事情には敏感に反応してしまうのです。
自分自身、どうなのか?
親になった時にどうなのか?
…
自分の苦い経験を子供には絶対に、味わってほしくない。
でも、できるの…か?…と
そんな風に自問自答した時に、恐怖に近い不安が生まれます。
教育という、漠然とした答えの無い過程に対して
清く正しくという意義を教えられるのかと?
…
もちろん、そんな認識で子供を作りたいという
思いは現在は持ってないです。
迷いや不安がある、未成熟者が子供を作ってはいけないと思いますし…いや、絶対ダメなんです。
やはり・・・・
(すいません。先に紡ぐ考えが見つからないので…
)
本当に、今一度よく考えたいと思います。
鬼さんのブログを通して、個人的な主張を載せて
頂きありがとうございます
ほか、皆さんにも私のつたない書き込みから
理解して貰って、幸いです。
> 「子供と一緒に成長したらいいじゃん」
この言葉を言った彼女の本心は、私には分かりません。
でも、問題はそれを聞いて自分はどう思ったか?
そこから自分は何を学ぶかが問題かな・・・
せっかく、良いも悪いも心に残る言葉を言って
くれたのだから、色々考えないともったいないな
なーんて、思いました。
いきなりですが,
『子供と一緒に成長したらいいじゃん』
...ありますよぉ,こういうこと。
たっくさんあります。
前後しました,9歳と2歳の姫達の母です。
熱を出しただけで,オロオロ,涙ボロボロ,いい年
こいてバカ母ですよね^^;
でも,どうしようもないから,何とかしてあげた
くて,医者に行って,根掘り葉掘り聞いたですよ,
思いのたけを皆,小児科の先生にぶつけたですよ,
そして学んだんです。
...分からなければ聞けばいい。
って。
誰でも知っている事ですよね,当たり前のこと。
でも,私の魂の中にまで染みこんできました。
私にとっては,娘を授からなければ,感じることの
できなかった感情です。
知らなかったわけではありません,でも,私は子供
を授かって,『育てさせて頂く』過程で,待つこと,許す事,「それでいいじゃない」なんていうこと
を覚えました。
子供と一緒に成長したのです。
そして下の子を授かり,『私の失敗』が,私の失敗
ではなく,『彼女(長女)の個性』であるのだと
気づく事もできました。
子供は−ひいては人間は,−一人一人別の生き物
であるくらい違う生き物なのだ,『みんな違って
みんないい』,それを実感できました。
学ぶ事が多いです^^;
そして,もう一つ,私にとってはこれが一番かもで
すが,『子供のときに遣り残したまま大人になっ
てしまった事』...それをやれた事かな。
ベルマーク集め...とか,そんな程度のことでもですよ^^
子供の成長と,私の成長は違います。
友達親子...なんてのも個人的に嫌悪します。
...アレは友達じゃない,子供に媚びているだけだ,
そう思います。
いただきますと言わせるなといった母親も,ひと悶着おきて,そのおかげで成長できればいいのになと思います。そしたら,その『事件』も,意味のあることになると思う。
すいません^^;
どうしても気になったモンですから,流れに沿っ
てないかなと思いましたが,思うまま書かせてい
ただきました。