必ず原因がある。
そしてその原因には
外的要因と内的要因がある。
→興味ない人のお帰りはこちら→人気Blogランキング
外的要因の有無はケースバイケースだと思うが、
内的要因のない結果というのはあり得ない。
結果としての物事の原因を考えるとき、
外的要因と内的要因と分けて考えることができる。
例えば多重債務について考える場合、
多重債務者から見るなら、
外的要因は、貸金業者の現状にあり、
内的要因は、多重債務者の現状にある。
貸金業者から見るなら、
外的要因は、多重債務者にあり、
内的要因は、貸金業者にある。
例えば夫婦間のトラブルについて考える場合、
一方から見れば、
外的要因は、配偶者にあり、
内的要因は、自分にある。
また配偶者の側から見れば、
外的要因は、自分にあり、
内的要因は、配偶者自身にある。
では、外的要因と内的要因を、
いかにして解決するのか。
当事者に解決できるのは、内的要因のみであり、
外的要因を解決できるのは、
その外的要因を内的要因とする相手である。
そして
内的要因を解決すれば、
外的要因の解決を待たずして、
その問題は解決する。
多重債務問題を考えるとき、
貸金業者が解決できる問題は、
貸金業者の現状についてだけであり、
多重債務者の現状を解決することはできないのであって、
多重債務者が解決できる問題は、
多重債務者自身の現状についてだけであり、
貸金業者の現状を解決することはできないのである。
それらを調整するのは、
当事者以外の、
行政であったり、立法であったり、司法であったり、
また世論であったりするんだと思う。
だから私は多重債務者自身が、
貸金業者に対する批判をするのに反発を感じるし、
貸金業者自身が、
自らを必要悪とし、責任を多重債務者に転嫁するのを嫌うし、
妻や夫を悪者にして、
自らを被害者として世間に訴えかける人にも感心しない。
外的要因を排除するのは、
社会の役目であって、当事者の役目ではない。
当事者はあくまで自分の内的要因を解決することに専念すべきだ。
当事者が外的要因に言及すると、
社会はその当事者に卑下の目しか向けない。
そういうもんである。
ちょっと言葉の表現が堅かったかな^^;
でも大事なことだと思うので、
意味を理解できるまで、何度も読み返してでも、
理解して欲しい。
社会の発展を願ってぽちっと→人気Blogランキング
ところもそこだと思う。
ただ、そこの解決策が解からないので
苦しんだり、悩んだりしているんだと思う。
私の解決策は、相手に対して自分が感じた
怒りの感情、喜びの感情、悲しみの感情等
を言葉にして吐き出します。
今、私はこういう気持ちなんだと言う事を
相手に知って貰いたいからです。
それは、相手に勝つ為でもなく
負ける為でもなく、よもや相手を
負かす為でもありません。
自分の感情を出す事によって
楽になりたいからです。
みんなは、自分の感情を出すと
「否定されるのが怖い」という
恐怖を恐れているんじゃないんですか。
自分の感情に正しいも間違いも
ありません。
泣き寝入りが美徳と教えられ、
自分を抑える事を強制され、
そうやって生きる事に違和感を覚えず
人と付き合って来た事が、それが逆に
人を傷つけていたのだと思います。
自分の気持ちも言わず、相手の気持ちも
聞き入れず、問題が大きくなった時
相手を悪者にして自分は逃げる。
卑怯者だと思います。
とにかく、伝わっても伝わらなくても
言うことは言う。
それを行った上で、答えを出すのは、
自分でもあるし、相手でもあると
思います。
なんか、まとまらなくて済みません。
そうなんですよねぇ。
鬼さんがいつも被害者意識のからは自らやぶれというのと、
賢い消費者になれと、いうことと
人を変えようとせずに自分を変えろと言うことと
なるほど全部つながっていますね。
どんな問題も、
元をたどれば必ず自分に原因があるのに、
ついつい、私も何かのせいにしているかもしれません^^;
過払いで本人請求をしていると、
相手だけを悪者にしてしまいます。
借金についても、もとをたどれば全部
自分に原因があるんですもんね^^;
自分の問題を解決できるのは自分しかいないんですもんね。
いつも見ているのに
この記事で、ハッっと我に返りました。
その原点をいつも思い返したいとおもいます♪
問題が起きたときに、外的要因が悪いからと
自分以外の責任にして自分自身に言い訳をして
自分を被害者にしたて上げ逃げる・・・
そう言う人、多いですよ。
「何を言っても、誰も分かってくれない。」
「なぜ、自分だけがこんな目に遭うんだ。」
これを言う人も一緒。
多分、こう言う人は誰が何を言っても、自分で
気づかなければ分からない。
結局は、自分を不幸にするも幸せにするも自分。
お金がいっぱいあって、優しい家族がいて、みんなが
自分を愛してくれていても、不幸だと自分が思ったら
それは、不幸なことなんだと思う。
逆に、お金が無く天涯孤独で仕事さえ無くても
それでも、自分は生きている事が幸せだと
自分が思ったら、それは幸せな事だと思う。
不幸は自分の心の中にある。
幸せも自分の心の中にある。
自分は、なんでこんなに不幸なんだ、自分だけがどうしてこんな目に遭うんだ。それらすべては内的要因から来ていること。
その事に気づいている人からは、当たり前の事でも
気づいていない人からしたら、難しい事だとおもいます。
その事に、気づく切っ掛けが無かったと言う人も
いるけど、切っ掛けは自分で見つけるものだと思う。
待ってたって、やってこないよ。
何か嫌なことが有ると人のせいにする息子を
見るたびに、心配になる私です・・・
私はいいこちゃんになって人に振りまわされて生きるのをやめ、そのかわり、自分の力量の中でのベストを尽くすのを目的として生きてゆきたいと思うようになりました。
鬼さんのおかげです。
厳しいなァって、指摘された時は泣いたけど、でもそのなかの優しさが後からじんわりわかって……またナミダが出ました。
メールで励ましていただいた時は既に無理しちゃってて倒れたけど、今週から、また前を向いて頑張っていますから……見ててくださいね p(*^-^*)q